どこでも寝られ、なんでも食べれて、誰とでも友達になれる?

ちょっと古いエントリなんですが、内田樹さんのブログのエントリ、「生きていてくれさえすればいい」は感動的です。

近世日本が世界でも例外的に「子どもをかわいがる社会」であったことは、幕末に日本に来た西欧の人々が仰天した記録がたくさん残っていることから知られている。
これほど子どもが幸福そうに暮らしている社会を他に知らないとさえ書かれている。
寺子屋についても記録はたくさん残っているが、絵を見ると、今の学校であれば「学級崩壊」的な状況である。
子 どもたちはてんでに好きなことをしている(これは寺子屋の授業が全級一斉ではなく、子どもひとりひとりに与えられた課題が違うせいである)。手習いなんか しないでそこらへんを走り回ったり、まわりの子どもの邪魔をしたり、障子を蹴破ったり、上がり框から転げ落ちたりしている子どもいる。
もちろんおおかたの子どもたちはまじめに勉強しているんだけど。
総じて江戸時代までの日本人は子どもに甘かったようである。
理由の一つは幼児死亡率が高かったことにある。
江戸時代の平均余命は男子が20歳、女子が28歳である。
これほど低いのは、生まれた子供の7割が乳児幼児のうちに死んだからである。
だから、元気で遊んでいる子どもというのは「よくぞここまで育ってくれた」という感懐と同時に「この子は明日も生きているだろうか?」という不安とを同時に親にもたらす存在であったのである。
そういうときには、あまり子どもをびしびし鍛えるとか、そういう気分にはならぬものである。
もちろん西欧だって幼児死亡率は日本と似たようなものであるから、それだけでは日本人が例外的に子どもを甘やかしたことの理由にはならない。
だが、少なくとも現代日本の親たちの口から、わが子について「生きてくれさえすればそれでいい」というところまでラディカルな愛情表現のことばを聴くことはまれである。
それだけ子どもをとりまく衛生環境が向上したからである。
子どもが「生物学的に生き残ることが当たり前」になると、今度は「どのような付加価値をつけて、子どもを社会的に生き残らせるか」ということが親にとって切実な問題になる。
今の日本では、「子どもをどうやって社会的に生き残らせるか」という問いは「子どもにどうやって金を稼がせるか」という問いに書き換えられる。
「生き延びる力」と「金を稼ぐ力」は私たちの社会ではイコールに置かれている。
繰り返しここでも書いていることだが、これは人類史の中ではごくごく例外的なことである。
人類史の99%において、「生き延びる力」とは文字通り「生き延びる力」のことであった。
細菌や飢餓や肉食獣や敵対部族の襲撃や同胞からの嫉妬をどうやって「生き延びるか」ということが最優先の人間的課題であり、そのために必要な資質を子どもたちは最優先で開発させられたのである。
環境適応性が高いのでどこでも寝られ、なんでも食べられる、危機感知能力が高いので危ない目に遭わない、同胞との共感力が高いので誰とでも友だちになれる・・・そういう能力が「生き延びる」ためにはいちばん有用である。
けれども、これらの能力は「金を稼ぐ」という抽象的な作業には直結しない。
だから、現代日本のような極度に安全な社会においては、「生物が生き残るために最優先に開発すべき資質」の開発は顧みられることなく、ごく例外的な歴史的条件下でのみ有意である「金を稼ぐ能力」の開発に教育資源のほとんどが投じられることになったのである。
私はこのような歪みは日本社会が人類史上例外的に安全な社会になったことの「コスト」として甘受せねばならないと考えている。
つねに死の危険に脅かされているために「生物学的に強い子ども」でならなければならない社会と、とりあえず生き死にの心配がないので「生物学的に弱い子ども」でいても平気な社会のどちらが子どもにとって幸福かという問いに答えるのに逡巡する親はいないであろう。
でも、毎日の新聞を読んでいると、ローンが払えないせいで一家心中したり、進路のことで意見が違ったので親を殺したり、生活態度が怠惰なので子どもを殺したり、いじめを苦にして自殺する事件が起きている。
ローンとか生活態度とか進路とかいじめとかいうのは、すべて社会関係の中で起きている「記号」レベルの出来事であり、生物学的・生理学的な人間の存在にはほとんど触れることがない。
でも、そのような記号レベルの出来事で現に毎日のように人間が死ぬ。
社会が安全になったせいで、命の重さについて真剣に考慮する必要がなくなった社会では、逆に命が貨幣と同じように記号的に使われる。
社会はあまりに安全になりすぎると却って危険になる。
そういうこともあるのかも知れない。
「生きていてくれさえすればいい」というのが親が子どもに対するときのもっとも根源的な構えだということを日本人はもう一度思い出した方がいいのではないか。
寺子屋の話を聴きながら、そんなことを考えた。

もちろん、全体の主旨が感動なのですが、今回、書いておきたいなあと思ったのは、以下の部分。

環境適応性が高いのでどこでも寝られ、なんでも食べられる、危機感知能力が高いので危ない目に遭わない、同胞との共感力が高いので誰とでも友だちになれる・・・そういう能力が「生き延びる」ためにはいちばん有用である。

そう。

「どこでも寝られ、なんでも食べられる、危機感知能力が高いので危ない目に遭わない、同胞との共感力が高いので誰とでも友だちになれる」この4つって、人生を生きていく上で、大切なことだと思うのです。

それで思ったんです。

教職学院の職員採用面接では、こう聞こう、と。

「どこでも寝られ、なんでも食べれて、誰とでも友達になれる?」(危機感知能力は自分ではわからないでしょうから)

これにパスした人を、職員では採用したいと思います(笑

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中教審の反省。

学生さんから、「中教審が「反省」したという記事を読みましたよ」というメールをいただいて、読売新聞を読みました。

 あらまあ。

 「「授業減らしすぎた」中教審が異例の反省」という記事です。驚きました。こんな記事です。

 次の学習指導要領を審議している中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)が、近く公表する中間報告「審議のまとめ」の中で、現行の指導要領による「ゆとり教育」が行き詰まった原因を分析し、「授業時間を減らしすぎた」などと反省点を列挙することがわかった。

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 中教審はすでに、小中学校での授業時間増など「脱ゆとり」の方針を決めているが、反省の姿勢を明確に打ち出すのは初めて。中教審が自己批判するのは極めて異例だが、反省点を具体的に示さなければ、方針転換の理由が学校現場に伝わらないと判断した。

 中教審は1996年、それまでの詰め込み教育への反省から、思考力や表現力といった学力と、他人を思いやる心などを「生きる力」として提唱。現行 の学習指導要領は、この「生きる力」の育成を教育目標に掲げ、小中とも授業内容を3割削ったり、総授業時間数を1割近く減らしたりしたほか、教科を横断し た学習で思考力などを身につける「総合学習の時間」の創設を盛り込んだ。しかし、指導要領が実施されると、授業時間の減少により、「基礎学力が低下した」 「子供の学習意欲の個人差が広がった」といった批判が相次いだ。

 中教審が今回、反省点として挙げるのは、〈1〉「生きる力」とは何か、なぜ必要なのかを、国が教師や保護者に伝えられなかった〈2〉「生きる力」 の象徴として、「自ら学び自ら考える力の育成」を掲げたが、子供の自主性を尊重するあまり、指導をちゅうちょする教師が増えた〈3〉総合学習の時間を創設 したが、その意義を伝えきれなかった〈4〉授業時間を減らしすぎたため、基礎的な知識の習得が不十分になり、思考力や表現力も育成できなかった〈5〉家庭 や地域の教育力の低下を踏まえていなかった――の5点。

 ゆとりが強調されたことで、教師が基本的な知識を教えることまで「詰め込み教育」ととらえ、避けるようになったと振り返るとともに、主要教科の授 業時間が減って、観察やリポート作成の時間がなくなったと分析。さらに、家庭や地域の教育力が低下し、生活習慣や規範意識を身につけさせる上で学校の役割 が増していたのに、その認識もなかったと反省している。

 中教審は、こうした反省を踏まえ、次の学習指導要領では、「生きる力」をはぐくむという理念は残しつつ、十分な授業時間の確保や道徳教育の充実を 図る必要があると結論づけた。近く公表する「審議のまとめ」を基にさらに議論を進め、来年1月ごろに答申をまとめ、文科省が今年度内に学習指導要領を改定 する。

 同省はこれまで、「運用面で問題があったが、ゆとり教育の理念は間違えていない」などとし、明確な反省を示してこなかった。

(2007年10月28日3時0分  読売新聞)

 記事にあったように、中教審がこういった「反省」をされることは、極めて異例のことです。これまでも、「方針撤回」かな、と思われる場面は多かったように思われますが、「反省」なんて。そういう話って聞いたことがないですよね。ですので、本当に私も驚きです。
 それほどまでに、この間の学力論議は厳しいものがあったのでしょう。

 今回の発言について、私はまだ、きちんとした分析ができていないのですが、こういう反省って、気持ちがいいものだと思っています。今まで、反省がなかったことが不思議です。その時点、その時点で精一杯考えて、その都度その都度、反省をしていけばいいと思うのですよ。
 こういう「反省性」が、教師の仕事においても大切なことだと思いますし。

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「関心を集中させる」ということ。

 

が~ん。今、結構長文の記事を書いたのですが、全部消えてしまいました(涙。何か別のソフトで書いていればバックアップが残ったのかもしれません が、私の場合、直接、サーバー上で書いているので、バックアップが見当たりません。せっかく書いたのに。でもまあ、仕方がありません。こうして2回目を書 いていると、きっと、先ほどとは全く違った「オチ」の文章になることでしょう。自分でもどう落ちるかわからないという、書くことの楽しみを味わいながら、 また書いてみたいと思います(眠いことは眠いのではありますが(汗)。

 私のような仕事をしていると、学生さんから、卒業論文や修士論文、大学や大学院の志望理由書、研究計画書の指導をよく求められます。できる限りはお引き受けし、一緒に楽しく勉強させていただいてはいるのですが、なかなか大変だよね、と感じるケースも少なくありません。

 私が大変だよね、と感じるケースは、むしろ、学力の高い、比較的「良い子」で通ってきた学生さんのケースです。

 彼らは、学力がありますし、いろいろなことをそれなりにこなすだけの力があります。そういう意味ではとても楽しみな方が多いのですが、その自分の 能力を、一点に集中させることがなかなか難しいのです。学習意欲の高い方も多いですから、なるべくたくさんのことを学びたい、なるべくたくさんのことを包 括できるようなテーマを選定したい、という無意識的な欲望が強いように感じるのです。例えはっきりと、自覚はされていなくても。

 そういう精神の状況の中で選択されてくるテーマというのは、「学校制度と教育」「理想の教師とは」といった、概括的、価値的なものが多いのです。

 う~ん、これではなかなか論文にすることは難しいです。

 そもそも、「学校制度と教育」なんて、教育学の一つの領域ですし、一生かかってもおそらく終わらないテーマです。また、当為の学で課題を設定していっても、論文で検討した結果の「答え」を導き出すのが難しいと思います。

 論文というのは、そういうものではないんですよ。

 なるべく問題を狭く、はっきりと限定した課題を設定して、仮説を提示し、何らかの実証を行い、結論を述べる。ただそれだけのことではないでしょうか。

 だから、「答え」が導きだせるような課題を設定することが大切なのです。

 高校と大学の学びの大きな違いは、大学では、「問う」力が重要になってくる、ということだと思います。どのような問い方をすればいいのか、それに多くのリソースを注ぐ必要があります。そして、問いの質によって、論文の質が大きく左右されてくるのです。

 う~ん、やっぱり、全然違う方向に落ちてしまいましたね。もう少しこのテーマで書きたいとは思うのですが、続きはまた後日に。

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通信制大学の事務作業。

 通信制大学は、レポートの提出と試験、スクーリングで単位認定を受けることが多いと思いますが、そのレポートの提出、多くの大学では、郵便で行っ ていると思います。レポートの提出だけでなく、諸手続きも郵便で行うことが多いですよね。その締切が、消印有効だったり必着だったりと、大学や提出内容に よって様々で、ちょっと大変です。いろいろな手続きの締切が、もちろん人によって様々だったりもしますから、自分に必要な手続きの一覧表なんて、もちろん 大学からは配布されません。そうなると、自分で一覧表を作成して、もれなく手続きをしていかなくてはいけません。何か一つでも落としてしまったら、単位が 取れない、卒業できない、ということも起こります。この仕事をやっていて思うのは、こんな事務仕事の煩雑さです。

 それをなんとかクリアーして も、いわゆる「郵便事故」というものも起こらないとは限りません。自分では、余裕をもってポストに入れていても、配達が遅れてしまう。これが「必着」で書 類を受け付けるケースだったら、アウトですよね。ほんと、大変なんですよ。このような手続きの煩雑さで、通信教育が続かない方も少なくないのではないで しょうか。
 やっぱり、学生さんには、学習に集中してほしいと思います。「教職学院」のようなサポート校に通わないで卒業を目指される方は、ほとんど 独学で、専門書を読んで学習していかなければいけないわけですから。こういう事務的な手続きのために時間を取られてしまっては、ちょっともったいないよな あと思うのです。

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通信制大学の挫折。

 今日、ちょっとおしゃべりをしていた前からの友人が、実は通信制大学で「挫折」していたことを知って、びっくり。それほど親しい友人ではありませ んでしたから。その方も、教員免許を取得されようとして、通信制大学に入学されたそうです。でも、一方的に送られてきた「本」とレポート課題集で、「も う、無理」という感じで、すぐに退学されたそうです。

 やっぱり、通信制大学って、一人では大変なんですよね。

 幸いその方は、通学制の大学に編入学される方が決まったので、そちらで、教師になるという夢に一歩近づくことができたそうです。

 教師になりたいという夢を実現するためにはいろいろな方法があります。自分にとって一番ふさわしい方法を選択することが大切だと思います。

 その方が、4月から、新しい大学で充実した学びができることを祈っています。彼女なら、大丈夫でしょう。

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通信制大学で学ぶ学生さんのサポート。

 通信制大学は、入学をすることをそれほど難しくはないのですが、卒業をするのは容易ではありません。私の周りにも、入学はしたけれど、レポートを1通も出さないまま、授業料を払うだけになってしまい、そのままうやむやになってしまったという方が少なくありません。

 通信制大学への入学を決意し、書類を送付し、入学に関する諸手続きを済ませると、たいてい、ダンボールが届きます。中に入っているのは、教材の「本」で す。なんか難しい専門書ばかり。これを一人でどうやったらいいの?? ということで、そのままになってしまうことが多いようです。
 「履修ガイド」のようなものには、自分の興味のある科目から始めてみてください、といったことが書いてあるけれど、そんな、よくわからないよお! とい うのが本音ではないでしょうか。教育系の学部、特に、教員免許や保育士資格の取得を目指す方の場合、取得しなければならない科目の数が多いですから、本当 に大変です。
 通信制大学で単位を修得して卒業するための第一関門は、自分で履修の計画をどう立てるか、というところにあるのではないでしょうか。てきとーに、関心のおもむくままに学習していては、非効率的です。
 各科目には、履修に適切な順番があります。基礎的・概論的な科目、関連づけて学習した方がよい科目、段階的に学習していった科目、等々。それに個人が持っている知識の分野、基礎学力、関心を勘案して、履修カリキュラムを作っていきます。
 教職学院の学生さんは、教育学に関心があり、教員免許の取得を目指している方ですから、教職に関する科目を最初に集中して学ぶことにしました。「教職の 意義及び教員の役割」「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」「教育に関する社会的、制度的又は経営的事項」といった科目です。このあたりの「教育 の基礎理論に関する科目」の学習を一通り終えてから、他の分野の科目を学習していってもらおうと思っています。
 ただ一つ例外が。それは、「教科に関する科目」のピアノです。ピアノの実技は、単位を取得するためにももちろん必要ですが、教員採用試験でも、課されることが多いです。ピアノの経験がある方はいいのですが、まったく初めての方は、早めに始めておいた方がいいですよ。

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教員免許の種類と採用について。

 メールで教員免許状の種類についてのご質問がありました。これって、よく問合せがあることですので、こちらでも紹介しておきますね。

Q.
 小学校の免許を取ろうと考えている学生なのですが、一種や二種といった免許の種類はどこがどう違うのでしょうか? 採用等で関係があるのでしょうか?待遇ですか?
 また大学院への進学も少し考えているのですが、専修免許とかって有利なんでしょうか?教えてください。お願いします!

A.
 教員免許は、短大卒、大学卒、大学院卒といった基礎資格に加えて、必要な単位を修得することで、授与されます。基礎資格が短大卒の場合は2種免許、大学卒は1種免許、大学院卒は専修免許、というようになります。
 取得している免許状に違いで、採用試験に有利・不利が生じるということはありませんし、現場レベルでは、ほとんど差がありません。2種免許状でも、担任を持つことができますし。
 ただ、待遇の面で違いがあります。例えば、2005年度採用者の東京都の初任給ですと、1種は約23万7000円、2種は約21万6000円となっています。専修免許状ですと、もう少し額があがります。
 そういうわけですので、待遇面を考えると、専修免許状を持っていると有利、ということになりますよね。
 2種免許状を持っていれば、現場に入ってからでも、通信制大学等で足りない単位を修得すれば、1種免許を取得することができます。同様に、専修免許も取得可能です。
 ここまでは、公立学校を中心に書いてきたのですが、私立の場合は、ちょっと事情が異なります。もちろん、待遇は、各学校が定めているものですし、学校種・教科によっては、専修免許の取得が条件とされているところもありますし。

 詳しいことをお知りになりたい方は、ぜひお気軽に「教職学院」mailto:kyoshoku@gmail.com、Tel.042-576-4727 までお問い合わせください。

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通信制大学の出願。

 通信制大学(大学の通信教育課程)に入学しよう、教員免許や保育士資格を取得しようと思ったら、まずは各大学のパンフレットを取り寄せて、比較検討、そして、大学を決めたら、さあ、出願です。思い立ったが吉日、そのときがチャンスです。

 今回は、出願手続きについて書いてみますね。

 S大学通信教育部の出願に必要な書類は以下のようなものとなります。

出願書類名 備考
入学願書 大学指定の用紙。写真を添付。
入学資格を証明する書類 卒業証明書等。入学資格によって異なるので、後述。
入学志願者健康診断書 大学指定の用紙。3ヶ月以内の診断。東京都の場合は、保健所では健康診断が受けられないので、医療機関で診断を受ける必要があります。保険がきかないので、病院によっては、1万円近い出費に(泣)。
選考料振込受付証明書 入学選考料10000円を銀行から振り込むのですが、その払い込んだよ、という証明書。大学指定の用紙に、金融機関のはんこを押してもらいます。どーでもいいんですけど、金融機関の手数料、これも高いんだ。1000円近くになることも。
受理通知用葉書 大学が「書類を受け取りましたよ」という通知を出願者にお知らせするための葉書。50円切手を添付。
基礎資格及び単位修得証明書 教員免許状や保育士資格の資格の取得を希望する人で、課程認定を受けている大学等や、指定保育士養成施設で単位を修得している人は、出身大学等で証明を受けて提出。大学指定の用紙。
学生証・受講証発行申請書 大学指定の用紙。写真を添付。

 S大学の場合は、こういった書類が必要です。大学指定の用紙に、「鉛筆で記入」「写真はカラー」といった指定もありますから、気をつけて。でもまあ、そんなに書類の量は多くないので、大丈夫!

 入学資格を証明する書類は、以下のようになります。

正科生 入学資格 提出書類
1年次入学 高等学校、中等教育学校卒業の人 出身高校の「調査書」(調査書が発行されない場合は、「卒業証明書」と「成績証明書」)
大学入学資格検定(大検)合格の人 「合格証明書」と「成績証明書」
2年次・3年次編入 大学または短期大学を中退した人 大学または短期大学の①「在学期間証明書」、②「単位修得成績証明書」
大学または短期大学を卒業した人 大学または短期大学の①「卒業証明書」、②「成績証明書」
高等専門学校(5年制)を卒業した人 出身高等専門学校の「卒業証明書」と「成績証明書」
専修学校専門課程(3年次編入学の入学資格6.に該当する場合に限る)を卒業した人 専修学校の「編入学資格証明書」と「卒業(修了)証明書」・「成績証明書」

卒業見込みで受験される場合は、「卒業証明書」ではなくて、「卒業見込み証明書」が必要です。発行は3ヶ月以内です。

卒業証明書等は出身大学に申込が必要です。大学等に行けない場合は、郵送で申し込んで、郵送で返送、1週間くらいはかかってしまいます。その間に、健康診断をして、他の書類を整える、って感じでしょうかねえ。そうそう、写真も撮って!

名前が変わっている場合は戸籍抄本が必要とか、個別に必要なこともありますので、ちょっと面倒でも、募集要項で、逐一確認をしておきましょう。もちろん、「教職学院」にご相談くださってもかまいません。

 S大学の場合には、こういった書類が必要なのですが、住民票や志望理由書の提出が求められる大学もあります。

 書類を整えて、出願したら、「受理通知葉書」が届くのを待つことになります。

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通信制大学に入学する。

 通信制大学の入学時期は、4月と10月です。4月入学と10月入学、どちらが有利だとか、どの時期に出願するのがいいとか、そういったことも無いわ けではないのですが、それよりも、自分が学びたいというその時期に学び始めることが大切。「思い立ったが吉日」ではないかしら。出願期間は、数ヶ月にわた りますから、結構チャンスはありますよ。

 ここでは、S大学を例にとって説明をしておきましょう。

■入学資格

 S大学の場合は、以下のような学生区分があります。

・正科生(1年次)
高等学校を卒業した人(卒業見込み含む)や、大学入学資格検定(大検)に合格した人等
※教員免許状、保育士資格を取得する場合は、実技に支障のない人

・正科生(2年次編入学)
短期大学または大学に1年以上在学し、30単位以上を修得している人など
※教員免許状、保育士資格を取得する場合は、実技に支障のない人

・正科生(3年次編入学)
大学・短大を卒業している人、専修学校専門課程を卒業した人(昭和51年4月以前の入学者は該当せず)、大学に2年以上在学し62単位以上を修得した後で退学した人など
※ 教員免許状、保育士資格を取得する場合は、実技に支障のない人

下記に該当する人は二重学籍となるため正科生として入学することはできません。
・ 学校教育法第1条に定める高等専門学校、短期大学(専攻科を含む)、大学、大学院に在籍している人
・ 文部科学大臣の指定する教員養成機関等に在籍している人
※科目等履修生は二重学籍にはなりません。

 また、S大学短期大学部には「特修生」の制度がありますから、高校を卒業していない方、高卒認定試験(旧大検)に合格していない方にも大学に入学することが可能な道が開かれています。

 大学や短期大学を卒業生は、その卒業資格(基礎資格)を活かして、教員免許状や資格を取得することができます。それが「課程正科生」です。3年次編入学をして、必要な単位数を修得すれば修了、ということになります。

■入学時期・受付期間
*4月生;在学期間4月1日~3月31日
 受付期間:1月20日~5月10日

*10月生;在学期間10月1日~9月30日
 8月1日~11月30日

在学期間はこのようになっていますが、学習は随時開始できますので、早い時期に出願した方が、レポート締め切りや試験の受験回数が増えるので、お得。でも、次の出願期間を狙ってやる気がトーンダウンするよりも、やる気があるその時に出願した方がいいんじゃないかな。

■出願から入学まで

 S大学では、入学には書類審査によって入学が許可されます。入学試験はありません。この点は、他の多くの大学の同様かな。なので、広く門戸は開放されている、ということになりますよね。

 流れとしては、

 必要書類の提出→書類審査→入学許可→履修登録・課程登録→教材の配布

となります。

 う~ん、そろそろ疲れてきたので、今日はここまで。

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大学を選ぶ。

 久々の、教員免許・保育士資格情報です。

 教員免許を取得する方法ついては、これまでいろいろと書いてきました。一人ひとりが抱えている状況によって事情は違いますから、一番相応しい方法を選択することが必要ですよね。  その中から今日は、通信制大学について。
 教員免許・保育士資格を取得できる通信制大学はたくさんあります。その中から、どの大学を選ぶのか? なかなか難しいですよね。
 T大学は判定が厳しいとか、M大学は卒業しやすいとか、いろいろな情報がとびかっています。まあ、そういうこともあるのでしょうが、まずは、自分の目的に合った大学を選ぶことが大切なのではないでしょうか。
 なので、まずは、自分の目的としているコースがあるか、自分の学びたいことが学べるか、というのが第一のポイントですよね。そりゃそうですよね。
  次に立地条件。その場合、大学の所在地ではなくて、スクーリングを実施する場所を考慮する必要があります。スクーリングでした単位が取得できない科目もあ りますから、どこでスクーリングをするかは重要です。遠方の場合、交通費の他に宿泊費も準備しなければなりませんから。もちろん、修学旅行気分で京都のB 大にスクーリングに行こう、という選択肢もありますが。でも、費用を抑えたい場合は、近くや、泊まれる知り合いがいるところでスクーリングを実施している 大学の方がいいかも。
 他にもいろいろあるんでしょうが、最低限の選択基準は、このあたりでしょうかねえ。

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