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理想の単一の教育論なんて。

 

内田樹さんのブログを読んでいたら、笑うに笑えない記事がありました。ちょっと古い記事なんですが、全面的に賛成なので、その一部をご紹介したいと思います。

「理想のたこ焼き」というものをつくり出したいとする。
あなたならどうします。
「理想的なたこ焼きレシピ」を衆知を集めて作成し、 「理想的なたこ焼きマシン」を作成して、全国のたこ焼き屋に配布し、それ以外のたこ焼き作成を禁じ、全国津々浦々どこでも「同じ味のたこ焼き」が食べられ るようになれば、それで日本の食文化の水準が上がったと誇らしげに言う人間がいるだろうか。
いるはずがない。
あらゆるところでレシピが違い、道具が違い、焼き加減が違い、トッピングが違い、値段が違い・・・という「でたらめさ」がたこ焼きの質的向上と不断のイノベーションを可能にしているということに誰でも気がつく。
どうして「たこ焼き」については「理想の単一のたこ焼き工程など存在しない」ということを国民のみなさんはにこやかにお認めになるのに、「人間」については、同じことをお認め頂けないのか?
私にはその理路がわからない。
人間もたこ焼きも一緒である。
「教育はどうすればもっとよくなるのか」という創意工夫を自分の責任において引き受ける人の数が増えれば増えるほど教育は「よくなる」。
当たり前のことである。
「ありうべき教育」がどのようなものであるかは「こちら」で決めるから、教師たちはそれに従うように、という教育行政のあり方そのものが教育をダメにするのである。
安倍内閣は仄聞するところでは教育改革にたいへん熱心であるらしい。
教 育基本法を改定し、教師の資格制度を整備し、学習指導要領を緻密化し、教育委員会による教師たちの統制と支配を強化する・・・という施策は「ありうべきた こ焼き」を全国のたこ焼き屋に作らせるために、「たこ焼き基本法」を整備し、「たこ焼き士」認定制度を作り、「たこ焼き作成要領」を法整備し、「たこ焼き 監視官」を全国に網羅的に配備して、「青のりの散布量が標準値よりも少ない」たこ焼き屋を摘発するのとまったく同じことである。
申し上げるけれど、そんなことに行政的なリソースを割くのは、税金をドブに棄てることに等しいであろう。
それによって教育が今より少しでもよい方向に行く可能性は限りなくゼロに近い(「ゼロである」と言い切れないのは、教育改革のあまりのばかばかしさに全国民が気づいて「もうこんなのやめようよ」と言い出す方向に棹さす可能性を否定できないからであるが)。
私は「教育はいかにあるべきかに」ついて首相官邸にいるどの政治家官僚よりも長い時間考えてきている。
これについては自信がある。
その私が言うのだから、信用して欲しい。
日本のたこ焼きのレベルを上げようと思ったら、たこ焼き屋に創意工夫をするフリーハンドを与えることが最良の方法である。
教育も同じである。
政治家と官僚たちは(ついでにメディアの諸君も)お願いだから学校のことは忘れて欲しい。
あなたがたが学校のことを忘れてくれたら、それだけで日本の教育はめざましい復活を遂げるであろう。
それは私がお約束する。

という話なのだが、今日、学生さんたちとこの文章を読んで、笑うに笑えない話だということを始めて知った。

食品関係の会社に勤めていた学生さんが、まさにこの「たこ焼き」と同じように、食品を作っていたという。機械を使って加工食品を作るためには、マ ニュアル作成が重要。その食品を作るときに、まったくノウハウが無いアルバイトのような人たちでも、一定の同じ「味」のものが作れるように、まさに「たこ 焼き基本法」を作成しているそうだ。

なので内田さんの「たこ焼き」については「理想の単一のたこ焼き工程など存在しない」ということを国民のみなさんはにこやかにお認めになるのに」というのは、現実とは違うかも、と言わざるを得ないのかもしれませんが(笑)。

まあそれはともかく、単一の「理想の単一のたこ焼き工程」があったとしても、人間にそれが当てはまるはずは決してありません。

子どもが違い、教師が違えば、同じ教育方法でも効果は全く異なります。私自身も、相手によって常に教材を変え、語りの内容を変え、語り方を変えています。同じ内容・語りでも、まったく反応が違うためにとまどうことも少なくありません。

よく考えれば、そんなことって当然のことですよね。私たちは日常的に、相手の反応を見ながら、自らの表現方法を変え、少しでもコミュニケーションが進むように努力するものではありませんか。

それからもう一つ。

こうして教職学院を開いて自らが教育実践を行う場面が多くなると、調査者として教育現場に入ることの意味について考えさせられます。私自身、「研究」と称して現場に入り、ペーパーをまとめ、メディア(大小の違いはありますが)でも発言をしてきました。

どこかで、「子どもバッシング」に加担したなあと思うような部分もあり、反省の気持ちをいだかないわけでもありません。

こうして実践の場に身を置くようになり、「学校のことは忘れて欲しい」ということに強く共感しています。

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