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2007年10月

どこでも寝られ、なんでも食べれて、誰とでも友達になれる?

ちょっと古いエントリなんですが、内田樹さんのブログのエントリ、「生きていてくれさえすればいい」は感動的です。

近世日本が世界でも例外的に「子どもをかわいがる社会」であったことは、幕末に日本に来た西欧の人々が仰天した記録がたくさん残っていることから知られている。
これほど子どもが幸福そうに暮らしている社会を他に知らないとさえ書かれている。
寺子屋についても記録はたくさん残っているが、絵を見ると、今の学校であれば「学級崩壊」的な状況である。
子 どもたちはてんでに好きなことをしている(これは寺子屋の授業が全級一斉ではなく、子どもひとりひとりに与えられた課題が違うせいである)。手習いなんか しないでそこらへんを走り回ったり、まわりの子どもの邪魔をしたり、障子を蹴破ったり、上がり框から転げ落ちたりしている子どもいる。
もちろんおおかたの子どもたちはまじめに勉強しているんだけど。
総じて江戸時代までの日本人は子どもに甘かったようである。
理由の一つは幼児死亡率が高かったことにある。
江戸時代の平均余命は男子が20歳、女子が28歳である。
これほど低いのは、生まれた子供の7割が乳児幼児のうちに死んだからである。
だから、元気で遊んでいる子どもというのは「よくぞここまで育ってくれた」という感懐と同時に「この子は明日も生きているだろうか?」という不安とを同時に親にもたらす存在であったのである。
そういうときには、あまり子どもをびしびし鍛えるとか、そういう気分にはならぬものである。
もちろん西欧だって幼児死亡率は日本と似たようなものであるから、それだけでは日本人が例外的に子どもを甘やかしたことの理由にはならない。
だが、少なくとも現代日本の親たちの口から、わが子について「生きてくれさえすればそれでいい」というところまでラディカルな愛情表現のことばを聴くことはまれである。
それだけ子どもをとりまく衛生環境が向上したからである。
子どもが「生物学的に生き残ることが当たり前」になると、今度は「どのような付加価値をつけて、子どもを社会的に生き残らせるか」ということが親にとって切実な問題になる。
今の日本では、「子どもをどうやって社会的に生き残らせるか」という問いは「子どもにどうやって金を稼がせるか」という問いに書き換えられる。
「生き延びる力」と「金を稼ぐ力」は私たちの社会ではイコールに置かれている。
繰り返しここでも書いていることだが、これは人類史の中ではごくごく例外的なことである。
人類史の99%において、「生き延びる力」とは文字通り「生き延びる力」のことであった。
細菌や飢餓や肉食獣や敵対部族の襲撃や同胞からの嫉妬をどうやって「生き延びるか」ということが最優先の人間的課題であり、そのために必要な資質を子どもたちは最優先で開発させられたのである。
環境適応性が高いのでどこでも寝られ、なんでも食べられる、危機感知能力が高いので危ない目に遭わない、同胞との共感力が高いので誰とでも友だちになれる・・・そういう能力が「生き延びる」ためにはいちばん有用である。
けれども、これらの能力は「金を稼ぐ」という抽象的な作業には直結しない。
だから、現代日本のような極度に安全な社会においては、「生物が生き残るために最優先に開発すべき資質」の開発は顧みられることなく、ごく例外的な歴史的条件下でのみ有意である「金を稼ぐ能力」の開発に教育資源のほとんどが投じられることになったのである。
私はこのような歪みは日本社会が人類史上例外的に安全な社会になったことの「コスト」として甘受せねばならないと考えている。
つねに死の危険に脅かされているために「生物学的に強い子ども」でならなければならない社会と、とりあえず生き死にの心配がないので「生物学的に弱い子ども」でいても平気な社会のどちらが子どもにとって幸福かという問いに答えるのに逡巡する親はいないであろう。
でも、毎日の新聞を読んでいると、ローンが払えないせいで一家心中したり、進路のことで意見が違ったので親を殺したり、生活態度が怠惰なので子どもを殺したり、いじめを苦にして自殺する事件が起きている。
ローンとか生活態度とか進路とかいじめとかいうのは、すべて社会関係の中で起きている「記号」レベルの出来事であり、生物学的・生理学的な人間の存在にはほとんど触れることがない。
でも、そのような記号レベルの出来事で現に毎日のように人間が死ぬ。
社会が安全になったせいで、命の重さについて真剣に考慮する必要がなくなった社会では、逆に命が貨幣と同じように記号的に使われる。
社会はあまりに安全になりすぎると却って危険になる。
そういうこともあるのかも知れない。
「生きていてくれさえすればいい」というのが親が子どもに対するときのもっとも根源的な構えだということを日本人はもう一度思い出した方がいいのではないか。
寺子屋の話を聴きながら、そんなことを考えた。

もちろん、全体の主旨が感動なのですが、今回、書いておきたいなあと思ったのは、以下の部分。

環境適応性が高いのでどこでも寝られ、なんでも食べられる、危機感知能力が高いので危ない目に遭わない、同胞との共感力が高いので誰とでも友だちになれる・・・そういう能力が「生き延びる」ためにはいちばん有用である。

そう。

「どこでも寝られ、なんでも食べられる、危機感知能力が高いので危ない目に遭わない、同胞との共感力が高いので誰とでも友だちになれる」この4つって、人生を生きていく上で、大切なことだと思うのです。

それで思ったんです。

教職学院の職員採用面接では、こう聞こう、と。

「どこでも寝られ、なんでも食べれて、誰とでも友達になれる?」(危機感知能力は自分ではわからないでしょうから)

これにパスした人を、職員では採用したいと思います(笑

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中教審の反省。

学生さんから、「中教審が「反省」したという記事を読みましたよ」というメールをいただいて、読売新聞を読みました。

 あらまあ。

 「「授業減らしすぎた」中教審が異例の反省」という記事です。驚きました。こんな記事です。

 次の学習指導要領を審議している中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)が、近く公表する中間報告「審議のまとめ」の中で、現行の指導要領による「ゆとり教育」が行き詰まった原因を分析し、「授業時間を減らしすぎた」などと反省点を列挙することがわかった。

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 中教審はすでに、小中学校での授業時間増など「脱ゆとり」の方針を決めているが、反省の姿勢を明確に打ち出すのは初めて。中教審が自己批判するのは極めて異例だが、反省点を具体的に示さなければ、方針転換の理由が学校現場に伝わらないと判断した。

 中教審は1996年、それまでの詰め込み教育への反省から、思考力や表現力といった学力と、他人を思いやる心などを「生きる力」として提唱。現行 の学習指導要領は、この「生きる力」の育成を教育目標に掲げ、小中とも授業内容を3割削ったり、総授業時間数を1割近く減らしたりしたほか、教科を横断し た学習で思考力などを身につける「総合学習の時間」の創設を盛り込んだ。しかし、指導要領が実施されると、授業時間の減少により、「基礎学力が低下した」 「子供の学習意欲の個人差が広がった」といった批判が相次いだ。

 中教審が今回、反省点として挙げるのは、〈1〉「生きる力」とは何か、なぜ必要なのかを、国が教師や保護者に伝えられなかった〈2〉「生きる力」 の象徴として、「自ら学び自ら考える力の育成」を掲げたが、子供の自主性を尊重するあまり、指導をちゅうちょする教師が増えた〈3〉総合学習の時間を創設 したが、その意義を伝えきれなかった〈4〉授業時間を減らしすぎたため、基礎的な知識の習得が不十分になり、思考力や表現力も育成できなかった〈5〉家庭 や地域の教育力の低下を踏まえていなかった――の5点。

 ゆとりが強調されたことで、教師が基本的な知識を教えることまで「詰め込み教育」ととらえ、避けるようになったと振り返るとともに、主要教科の授 業時間が減って、観察やリポート作成の時間がなくなったと分析。さらに、家庭や地域の教育力が低下し、生活習慣や規範意識を身につけさせる上で学校の役割 が増していたのに、その認識もなかったと反省している。

 中教審は、こうした反省を踏まえ、次の学習指導要領では、「生きる力」をはぐくむという理念は残しつつ、十分な授業時間の確保や道徳教育の充実を 図る必要があると結論づけた。近く公表する「審議のまとめ」を基にさらに議論を進め、来年1月ごろに答申をまとめ、文科省が今年度内に学習指導要領を改定 する。

 同省はこれまで、「運用面で問題があったが、ゆとり教育の理念は間違えていない」などとし、明確な反省を示してこなかった。

(2007年10月28日3時0分  読売新聞)

 記事にあったように、中教審がこういった「反省」をされることは、極めて異例のことです。これまでも、「方針撤回」かな、と思われる場面は多かったように思われますが、「反省」なんて。そういう話って聞いたことがないですよね。ですので、本当に私も驚きです。
 それほどまでに、この間の学力論議は厳しいものがあったのでしょう。

 今回の発言について、私はまだ、きちんとした分析ができていないのですが、こういう反省って、気持ちがいいものだと思っています。今まで、反省がなかったことが不思議です。その時点、その時点で精一杯考えて、その都度その都度、反省をしていけばいいと思うのですよ。
 こういう「反省性」が、教師の仕事においても大切なことだと思いますし。

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「関心を集中させる」ということ。

 

が~ん。今、結構長文の記事を書いたのですが、全部消えてしまいました(涙。何か別のソフトで書いていればバックアップが残ったのかもしれません が、私の場合、直接、サーバー上で書いているので、バックアップが見当たりません。せっかく書いたのに。でもまあ、仕方がありません。こうして2回目を書 いていると、きっと、先ほどとは全く違った「オチ」の文章になることでしょう。自分でもどう落ちるかわからないという、書くことの楽しみを味わいながら、 また書いてみたいと思います(眠いことは眠いのではありますが(汗)。

 私のような仕事をしていると、学生さんから、卒業論文や修士論文、大学や大学院の志望理由書、研究計画書の指導をよく求められます。できる限りはお引き受けし、一緒に楽しく勉強させていただいてはいるのですが、なかなか大変だよね、と感じるケースも少なくありません。

 私が大変だよね、と感じるケースは、むしろ、学力の高い、比較的「良い子」で通ってきた学生さんのケースです。

 彼らは、学力がありますし、いろいろなことをそれなりにこなすだけの力があります。そういう意味ではとても楽しみな方が多いのですが、その自分の 能力を、一点に集中させることがなかなか難しいのです。学習意欲の高い方も多いですから、なるべくたくさんのことを学びたい、なるべくたくさんのことを包 括できるようなテーマを選定したい、という無意識的な欲望が強いように感じるのです。例えはっきりと、自覚はされていなくても。

 そういう精神の状況の中で選択されてくるテーマというのは、「学校制度と教育」「理想の教師とは」といった、概括的、価値的なものが多いのです。

 う~ん、これではなかなか論文にすることは難しいです。

 そもそも、「学校制度と教育」なんて、教育学の一つの領域ですし、一生かかってもおそらく終わらないテーマです。また、当為の学で課題を設定していっても、論文で検討した結果の「答え」を導き出すのが難しいと思います。

 論文というのは、そういうものではないんですよ。

 なるべく問題を狭く、はっきりと限定した課題を設定して、仮説を提示し、何らかの実証を行い、結論を述べる。ただそれだけのことではないでしょうか。

 だから、「答え」が導きだせるような課題を設定することが大切なのです。

 高校と大学の学びの大きな違いは、大学では、「問う」力が重要になってくる、ということだと思います。どのような問い方をすればいいのか、それに多くのリソースを注ぐ必要があります。そして、問いの質によって、論文の質が大きく左右されてくるのです。

 う~ん、やっぱり、全然違う方向に落ちてしまいましたね。もう少しこのテーマで書きたいとは思うのですが、続きはまた後日に。

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通信制大学の事務作業。

 通信制大学は、レポートの提出と試験、スクーリングで単位認定を受けることが多いと思いますが、そのレポートの提出、多くの大学では、郵便で行っ ていると思います。レポートの提出だけでなく、諸手続きも郵便で行うことが多いですよね。その締切が、消印有効だったり必着だったりと、大学や提出内容に よって様々で、ちょっと大変です。いろいろな手続きの締切が、もちろん人によって様々だったりもしますから、自分に必要な手続きの一覧表なんて、もちろん 大学からは配布されません。そうなると、自分で一覧表を作成して、もれなく手続きをしていかなくてはいけません。何か一つでも落としてしまったら、単位が 取れない、卒業できない、ということも起こります。この仕事をやっていて思うのは、こんな事務仕事の煩雑さです。

 それをなんとかクリアーして も、いわゆる「郵便事故」というものも起こらないとは限りません。自分では、余裕をもってポストに入れていても、配達が遅れてしまう。これが「必着」で書 類を受け付けるケースだったら、アウトですよね。ほんと、大変なんですよ。このような手続きの煩雑さで、通信教育が続かない方も少なくないのではないで しょうか。
 やっぱり、学生さんには、学習に集中してほしいと思います。「教職学院」のようなサポート校に通わないで卒業を目指される方は、ほとんど 独学で、専門書を読んで学習していかなければいけないわけですから。こういう事務的な手続きのために時間を取られてしまっては、ちょっともったいないよな あと思うのです。

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通信制大学の挫折。

 今日、ちょっとおしゃべりをしていた前からの友人が、実は通信制大学で「挫折」していたことを知って、びっくり。それほど親しい友人ではありませ んでしたから。その方も、教員免許を取得されようとして、通信制大学に入学されたそうです。でも、一方的に送られてきた「本」とレポート課題集で、「も う、無理」という感じで、すぐに退学されたそうです。

 やっぱり、通信制大学って、一人では大変なんですよね。

 幸いその方は、通学制の大学に編入学される方が決まったので、そちらで、教師になるという夢に一歩近づくことができたそうです。

 教師になりたいという夢を実現するためにはいろいろな方法があります。自分にとって一番ふさわしい方法を選択することが大切だと思います。

 その方が、4月から、新しい大学で充実した学びができることを祈っています。彼女なら、大丈夫でしょう。

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通信制大学で学ぶ学生さんのサポート。

 通信制大学は、入学をすることをそれほど難しくはないのですが、卒業をするのは容易ではありません。私の周りにも、入学はしたけれど、レポートを1通も出さないまま、授業料を払うだけになってしまい、そのままうやむやになってしまったという方が少なくありません。

 通信制大学への入学を決意し、書類を送付し、入学に関する諸手続きを済ませると、たいてい、ダンボールが届きます。中に入っているのは、教材の「本」で す。なんか難しい専門書ばかり。これを一人でどうやったらいいの?? ということで、そのままになってしまうことが多いようです。
 「履修ガイド」のようなものには、自分の興味のある科目から始めてみてください、といったことが書いてあるけれど、そんな、よくわからないよお! とい うのが本音ではないでしょうか。教育系の学部、特に、教員免許や保育士資格の取得を目指す方の場合、取得しなければならない科目の数が多いですから、本当 に大変です。
 通信制大学で単位を修得して卒業するための第一関門は、自分で履修の計画をどう立てるか、というところにあるのではないでしょうか。てきとーに、関心のおもむくままに学習していては、非効率的です。
 各科目には、履修に適切な順番があります。基礎的・概論的な科目、関連づけて学習した方がよい科目、段階的に学習していった科目、等々。それに個人が持っている知識の分野、基礎学力、関心を勘案して、履修カリキュラムを作っていきます。
 教職学院の学生さんは、教育学に関心があり、教員免許の取得を目指している方ですから、教職に関する科目を最初に集中して学ぶことにしました。「教職の 意義及び教員の役割」「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」「教育に関する社会的、制度的又は経営的事項」といった科目です。このあたりの「教育 の基礎理論に関する科目」の学習を一通り終えてから、他の分野の科目を学習していってもらおうと思っています。
 ただ一つ例外が。それは、「教科に関する科目」のピアノです。ピアノの実技は、単位を取得するためにももちろん必要ですが、教員採用試験でも、課されることが多いです。ピアノの経験がある方はいいのですが、まったく初めての方は、早めに始めておいた方がいいですよ。

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教員免許の種類と採用について。

 メールで教員免許状の種類についてのご質問がありました。これって、よく問合せがあることですので、こちらでも紹介しておきますね。

Q.
 小学校の免許を取ろうと考えている学生なのですが、一種や二種といった免許の種類はどこがどう違うのでしょうか? 採用等で関係があるのでしょうか?待遇ですか?
 また大学院への進学も少し考えているのですが、専修免許とかって有利なんでしょうか?教えてください。お願いします!

A.
 教員免許は、短大卒、大学卒、大学院卒といった基礎資格に加えて、必要な単位を修得することで、授与されます。基礎資格が短大卒の場合は2種免許、大学卒は1種免許、大学院卒は専修免許、というようになります。
 取得している免許状に違いで、採用試験に有利・不利が生じるということはありませんし、現場レベルでは、ほとんど差がありません。2種免許状でも、担任を持つことができますし。
 ただ、待遇の面で違いがあります。例えば、2005年度採用者の東京都の初任給ですと、1種は約23万7000円、2種は約21万6000円となっています。専修免許状ですと、もう少し額があがります。
 そういうわけですので、待遇面を考えると、専修免許状を持っていると有利、ということになりますよね。
 2種免許状を持っていれば、現場に入ってからでも、通信制大学等で足りない単位を修得すれば、1種免許を取得することができます。同様に、専修免許も取得可能です。
 ここまでは、公立学校を中心に書いてきたのですが、私立の場合は、ちょっと事情が異なります。もちろん、待遇は、各学校が定めているものですし、学校種・教科によっては、専修免許の取得が条件とされているところもありますし。

 詳しいことをお知りになりたい方は、ぜひお気軽に「教職学院」mailto:kyoshoku@gmail.com、Tel.042-576-4727 までお問い合わせください。

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通信制大学の出願。

 通信制大学(大学の通信教育課程)に入学しよう、教員免許や保育士資格を取得しようと思ったら、まずは各大学のパンフレットを取り寄せて、比較検討、そして、大学を決めたら、さあ、出願です。思い立ったが吉日、そのときがチャンスです。

 今回は、出願手続きについて書いてみますね。

 S大学通信教育部の出願に必要な書類は以下のようなものとなります。

出願書類名 備考
入学願書 大学指定の用紙。写真を添付。
入学資格を証明する書類 卒業証明書等。入学資格によって異なるので、後述。
入学志願者健康診断書 大学指定の用紙。3ヶ月以内の診断。東京都の場合は、保健所では健康診断が受けられないので、医療機関で診断を受ける必要があります。保険がきかないので、病院によっては、1万円近い出費に(泣)。
選考料振込受付証明書 入学選考料10000円を銀行から振り込むのですが、その払い込んだよ、という証明書。大学指定の用紙に、金融機関のはんこを押してもらいます。どーでもいいんですけど、金融機関の手数料、これも高いんだ。1000円近くになることも。
受理通知用葉書 大学が「書類を受け取りましたよ」という通知を出願者にお知らせするための葉書。50円切手を添付。
基礎資格及び単位修得証明書 教員免許状や保育士資格の資格の取得を希望する人で、課程認定を受けている大学等や、指定保育士養成施設で単位を修得している人は、出身大学等で証明を受けて提出。大学指定の用紙。
学生証・受講証発行申請書 大学指定の用紙。写真を添付。

 S大学の場合は、こういった書類が必要です。大学指定の用紙に、「鉛筆で記入」「写真はカラー」といった指定もありますから、気をつけて。でもまあ、そんなに書類の量は多くないので、大丈夫!

 入学資格を証明する書類は、以下のようになります。

正科生 入学資格 提出書類
1年次入学 高等学校、中等教育学校卒業の人 出身高校の「調査書」(調査書が発行されない場合は、「卒業証明書」と「成績証明書」)
大学入学資格検定(大検)合格の人 「合格証明書」と「成績証明書」
2年次・3年次編入 大学または短期大学を中退した人 大学または短期大学の①「在学期間証明書」、②「単位修得成績証明書」
大学または短期大学を卒業した人 大学または短期大学の①「卒業証明書」、②「成績証明書」
高等専門学校(5年制)を卒業した人 出身高等専門学校の「卒業証明書」と「成績証明書」
専修学校専門課程(3年次編入学の入学資格6.に該当する場合に限る)を卒業した人 専修学校の「編入学資格証明書」と「卒業(修了)証明書」・「成績証明書」

卒業見込みで受験される場合は、「卒業証明書」ではなくて、「卒業見込み証明書」が必要です。発行は3ヶ月以内です。

卒業証明書等は出身大学に申込が必要です。大学等に行けない場合は、郵送で申し込んで、郵送で返送、1週間くらいはかかってしまいます。その間に、健康診断をして、他の書類を整える、って感じでしょうかねえ。そうそう、写真も撮って!

名前が変わっている場合は戸籍抄本が必要とか、個別に必要なこともありますので、ちょっと面倒でも、募集要項で、逐一確認をしておきましょう。もちろん、「教職学院」にご相談くださってもかまいません。

 S大学の場合には、こういった書類が必要なのですが、住民票や志望理由書の提出が求められる大学もあります。

 書類を整えて、出願したら、「受理通知葉書」が届くのを待つことになります。

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通信制大学に入学する。

 通信制大学の入学時期は、4月と10月です。4月入学と10月入学、どちらが有利だとか、どの時期に出願するのがいいとか、そういったことも無いわ けではないのですが、それよりも、自分が学びたいというその時期に学び始めることが大切。「思い立ったが吉日」ではないかしら。出願期間は、数ヶ月にわた りますから、結構チャンスはありますよ。

 ここでは、S大学を例にとって説明をしておきましょう。

■入学資格

 S大学の場合は、以下のような学生区分があります。

・正科生(1年次)
高等学校を卒業した人(卒業見込み含む)や、大学入学資格検定(大検)に合格した人等
※教員免許状、保育士資格を取得する場合は、実技に支障のない人

・正科生(2年次編入学)
短期大学または大学に1年以上在学し、30単位以上を修得している人など
※教員免許状、保育士資格を取得する場合は、実技に支障のない人

・正科生(3年次編入学)
大学・短大を卒業している人、専修学校専門課程を卒業した人(昭和51年4月以前の入学者は該当せず)、大学に2年以上在学し62単位以上を修得した後で退学した人など
※ 教員免許状、保育士資格を取得する場合は、実技に支障のない人

下記に該当する人は二重学籍となるため正科生として入学することはできません。
・ 学校教育法第1条に定める高等専門学校、短期大学(専攻科を含む)、大学、大学院に在籍している人
・ 文部科学大臣の指定する教員養成機関等に在籍している人
※科目等履修生は二重学籍にはなりません。

 また、S大学短期大学部には「特修生」の制度がありますから、高校を卒業していない方、高卒認定試験(旧大検)に合格していない方にも大学に入学することが可能な道が開かれています。

 大学や短期大学を卒業生は、その卒業資格(基礎資格)を活かして、教員免許状や資格を取得することができます。それが「課程正科生」です。3年次編入学をして、必要な単位数を修得すれば修了、ということになります。

■入学時期・受付期間
*4月生;在学期間4月1日~3月31日
 受付期間:1月20日~5月10日

*10月生;在学期間10月1日~9月30日
 8月1日~11月30日

在学期間はこのようになっていますが、学習は随時開始できますので、早い時期に出願した方が、レポート締め切りや試験の受験回数が増えるので、お得。でも、次の出願期間を狙ってやる気がトーンダウンするよりも、やる気があるその時に出願した方がいいんじゃないかな。

■出願から入学まで

 S大学では、入学には書類審査によって入学が許可されます。入学試験はありません。この点は、他の多くの大学の同様かな。なので、広く門戸は開放されている、ということになりますよね。

 流れとしては、

 必要書類の提出→書類審査→入学許可→履修登録・課程登録→教材の配布

となります。

 う~ん、そろそろ疲れてきたので、今日はここまで。

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大学を選ぶ。

 久々の、教員免許・保育士資格情報です。

 教員免許を取得する方法ついては、これまでいろいろと書いてきました。一人ひとりが抱えている状況によって事情は違いますから、一番相応しい方法を選択することが必要ですよね。  その中から今日は、通信制大学について。
 教員免許・保育士資格を取得できる通信制大学はたくさんあります。その中から、どの大学を選ぶのか? なかなか難しいですよね。
 T大学は判定が厳しいとか、M大学は卒業しやすいとか、いろいろな情報がとびかっています。まあ、そういうこともあるのでしょうが、まずは、自分の目的に合った大学を選ぶことが大切なのではないでしょうか。
 なので、まずは、自分の目的としているコースがあるか、自分の学びたいことが学べるか、というのが第一のポイントですよね。そりゃそうですよね。
  次に立地条件。その場合、大学の所在地ではなくて、スクーリングを実施する場所を考慮する必要があります。スクーリングでした単位が取得できない科目もあ りますから、どこでスクーリングをするかは重要です。遠方の場合、交通費の他に宿泊費も準備しなければなりませんから。もちろん、修学旅行気分で京都のB 大にスクーリングに行こう、という選択肢もありますが。でも、費用を抑えたい場合は、近くや、泊まれる知り合いがいるところでスクーリングを実施している 大学の方がいいかも。
 他にもいろいろあるんでしょうが、最低限の選択基準は、このあたりでしょうかねえ。

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Yさんの「教育実習日記」2。

 Yさんから「教育実習日記」の続報が届きました。

 彼女は、本当にいい感性を持っていますよね。

 今日は、実習生の体育の授業にTTとして入りました。
  反省会で「TTはメインの教師よりも重要だ」と言われました。
  個別支援、メインの教師の補助、そして何よりも雰囲気づくりをするべきだ…と。
  TTという存在を少し履き違えていました。
   
  ほかの実習生の授業も見学しました。
  「興味の持続」の難しさを知りました。
  最初に興味を示してくれても、3~5分ごとに新しい刺激を与えなければ、興味は持続しにくい。
  指導の工夫が必要であり、指導の工夫によって理解度も変わってくる。
  本当に難しいです。
   
  指導案は骨組みであって、実際に授業をしてみなければ何が起こるかわからない。
  適切な判断と柔軟性が必要なのですね。
  予想外のことが起こると意図・ねらいを達成することを忘れがちになってしまうようです。
   
  児童の笑顔を見ることができたり、自分との距離が縮まっていることを感じたり、
  たくさん嬉しいことがあります。
  元気の源をくれる児童たちに、少しでも楽しんでもらえるような授業にしたいと思います。
  頭はいろんなことでパンクしそうですが…

私は、以下のような返信を、Yさんに送りました。

「TTはメインの教師よりも重要だ」
納得ですね。
今、どの子の支援をしなければならないのか、ぱっとその場での判断を求められますからね。
もしかしたら、最も教師的な仕事なのかもしれません。
こういうその場の判断ということが、教師の専門性なのだと理論的には言われているんですよ。

現場でいろんなことがあっても、ほんと、子どもたちが救ってくれますよね。
だから教師の仕事ってやれるんじゃないかなあ。
私にとっては、学生さんの一言ですかねえ。ははは。

Yさんの「実習日記」、早速、「教職学院」のブログに転載させていただきます。
すごくいい「実習日記」だと思います。
実習の後、こうしていろいろと書き綴っている中で、昼間には気づかなかったことに気づくってこと、ありませんか?
生活綴方教師は、夜、子どもに優しくなる、とよく言われているんですよ。

てなことで、Yさん、実習、がんばってくださいね。

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論文の節度。

 面倒だなあと思いつつ、往復1時間の「自宅」にPCのソフトを取りに行った後は、「教職学院」で、学生さんの答案の採点。B4判1枚程度の小論文の採点なのだが、これが結構な量なので、結構大変。

 採点をしていて、何度も同じことを書いているような気分になる。あれれ? こういうことって、私、授業でも話しているつもりなのだけれど。

 私の言い方が良くないのか、学生さんが自分のこととして聞けていないのか。

 おそらく、その両方でしょうね。

 よくある答案のまずいパターンは、こんなに短い論文なのに、複数の論点が混在しているもの。たった1枚で、そんなにたくさんの論点を論じることはできないでしょ。だから当然、散漫で、尻切れトンボで、論理が飛躍し、根拠が不十分なものになってしまっています。

 序論で論点を一つに限定し、そのことだけを論じるんです。ただそれだけのことなのですが。

 そういえば、このことについても、内田樹さんのサイトで記述がありました。古いブログからですが、紹介しておきましょう。

あのね、キミは学術論文のフォーマットというものがわかっていない。
「モノグラフ」というのは「論点は一つ」と決まっている。
一つの論点を選び、それについての仮説を提示し、それを論証してみせる。
ただ、それだけのことである。
いったい何が論点なのか、それが明示されなければ論文ははじまらない。
しかるにキミの論文は何を論証するのだがよくわからない。
論点は手塚治虫のヒューマニズム論なのか、手塚のジェンダー・ブラインドネスなのか、『ブラックジャック』作品論なのか、「登場人物=記号」論批判なのか…
私にもわからない。
わずか20枚ほどの論文では、それらすべてを論じることはできない。
なぜ、論点を一つに絞るという「節度」が保てないのか。
ある種の知的な学生さんたちの書き物の特徴は、この「節度のなさ」である。
論点ひとつに絞るというのは知的な「節度」を持つということである。
どれだけ多くの参考資料を渉猟したとしても、論点から外れることについては触れない。
「あれも読みました、これも調べました…」と手柄顔で列挙していると、結局何が論点なのかがわからなくなってしまう。
あまり知られていないことだから、この機会に申し上げておくが、「よくできる」学生さんの書く論文が陥る最大の欠点は「証明過剰」ということである。
その仮説が「当てはまる事例には当てはまる」というところで踏みとどまれずに、「すべての事例に当てはまる」という方向へ前のめりになってしまうのである。
残念ながら、「すべての事例に当てはまる」ような仮説というのは、ほとんどの場合「雨が降る日は天気が悪い」というような無意味な同語反復にすぎない。
節度を失った仮説は必ず凡庸化する。
そして誰でも知っており、誰でも同意する仮説に学術的価値を認める人はいないのである。
だから、凡庸でありたくないと望むなら、「限定的事例にのみ妥当する奇妙な仮説」にあえて踏みとどまらなければならない。
この間、春日武彦先生に教えて頂いたのだが、ある種の統合失調症患者は「世界のすべての事象を説明できる単一の方程式を発見する」ことへの固執を示す。
宇宙の真理のすべてが「ワンフレーズ」に収まることを彼らは切望するのである。
言い換えると、「世界のすべての事象を説明できる単一の方程式」への欲望を自制できることが「健常な知性」の条件だということになる。
モノグラフが成立するか否かは、ひとえにこの「自制」にかかっている。

ということなのですよ。

 「世界のすべての事象を説明できる単一の方程式」を見つけることが知性だと、子どもの頃の私は信じていました。これは極めて「子どもの思考」なのですよ。

 論点を限定的に設定し、そことの関わりだけで本論を展開するんです。それ以外は、例えたくさんの本を読んでいても、書いてはいけません。

 学生諸君の健闘を祈ります。

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Yさんの「教育実習日記」

 地方の教員養成系大学に編入学した教え子からメールが届きました。彼女は、障害児教育を専攻しています。大学の付属の学校で教育実習をしているようです。

 読んでいて、教室の子どもたちのこと、そして、初めて「先生」と呼ばれる中で、精一杯彼女ががんばっていること、子どもとの関係をつくっていることが伝わってきていいなあと思いましたので、転載します。

  今、ちょうど教育実習1週目が終わったところです。
  「先生」と呼ばれること歯がゆさを感じています。
   
  附属の特殊学級の子達は、比較的障害が軽いと思っていました。
  確かに重度はいません。
  言語的に困る子はほとんどいません。
  それでも、書くことが出来ない、場の空気が読めない、柔軟性がない…
  一人ひとり状態が異なっています。
  個人のなかでも、日や時間によって状態が違うことも知りました。
  言語的コミュニケーションに問題がないため、
  ふとしたところで難しさを突きつけられます。
  とても奥が深いです。
   
  最近驚いたことは、私が自分のことを「私」と呼んだところ、
  児童に「次、私の番!」と言われました。
  自分のことを「私」と呼ぶ概念がないのだと…
  (名前を覚えられていないってことにもなりますが)
   
  自閉症の男の子には、最初は適度な距離感をもたれていました。
  日がたつにつれて、側にいてくれる時間が長くなったり、指示が通るようになりました。
  着替えのとき「1番上のボタン、パッチンして」と言われたのには本当に嬉しかったです。
  (自分で出来るので、してあげませんでしたが、本音はしてあげたかったです!笑)
   
  その子がとてもニコニコしている日がありました。
  学校外の日だったので、私は単純に楽しいのかなと思いました。
  しかし、実際は違った環境に落ちつかなかったようです。
  必ずしも、ニコニコ=楽しいというわけではありませんでした。
   
  卓上では全く感じられないことを書ききれないくらい感じる毎日です。
  明後日からは授業をします。
  自分の発想力・思考力のなさに悩まされますが、なんとか頑張りたいと思います。
   

 去年の今頃、彼女と、大学の編入学の試験で格闘したことを思い出しました。あの子が、教育実習をしているなんてねえ。本当に早いものです。なんて言うと、私がやたら年を取っているようですね。ははは。

 最終的に進路を決めるのに、ものすごく悩んだ学生さんでした。

 彼女に言ったか、覚えていないのですが、そのときの選択が正しかったかどうかは、その後の人生が決めることだと思うのです。こうして今、子どもたちに精一杯向かっている彼女の姿を見ると、きっと、あのときの選択は正しかったのだと思いますよ。

 がんばってほしいと思います。応援していますよ。

 教師というのは、自分の存在を消すために仕事をしているのだと思います。だって、いつまでも「先生!」と子どもや学生さんが頼ってくるようだった ら、教師の仕事は失敗ですよね。自分がいなくても生きていけるように、その子が自分で立って歩んでいけるようにサポートするのが教師の仕事だと思っていま す。

 そういう意味では、教師の仕事は、切ないものです。

 あんなに頼ってきていて、こちらも精一杯応えていたのに、ぷつんと途絶えていきますから。

 そんな切ない仕事ですが、こうして時々、私に依存するためではなく、友人として、自分の語りたいことを語る相手として選んでもらえるということは、うれしいことです。

 教師は子どもに選んでもらうのだと思うのです。

 そういう意味で、彼女のメールで私は、しばらくまた、がんばれると思うのです。

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あなたにふさわしい教員免許・保育士資格の取得方法を。

 「教職学院」は、教育系の大学で学ぶ皆さんの学習を支援するサポート校です。通学制・通信制を問わず、教育系の大学・大学院のレポートや試験、卒論、修士論文執筆のサポート、教員採用試験の対策のお手伝いをしています。

 この間、まだ、教育系の大学に入学しているわけではないのだけれど、新たに教員免許を取得したい、と相談される方が増えてきました。教員採用試験の倍率が下がってきていますからね。校種、地域を選べば、教員採用試験を突破することも、夢ではなくなってきました。

 いろいろな方とお話ししていて感じるのは、一人のひとりの事情は、実に様々だ、ということです。18歳の大学受験のときに教員免許の取得できる大 学を受験したが、全部不合格だったという方、とりあえず入った短大で教育学を学び、教育学に関心を持った方、大学は卒業するので、大学院で教員免許を取得 したい、社会人で働きながら教師を目指したい、等々。実に様々です。

 教員免許を取得するためのサポート機関はいろいろあります。大学編入・大学院入試のための予備校、通信制大学のサポート校、教員免許認定試験の予備校、等々。

 ただ、これらって、結構ばらばらに開講されていて、どの方法が自分にとっていちばんいいのかな? と迷うことってありませんか?

 「教職学院」は、教育系の総合的なサポート校ですから、これらの方法のメリット・デメリットを勘案して、あなたに最も相応しい方法を提案させていただ きたいと思っています。皆さんの現在の状況、学力、どの程度、学習に時間を割けるか、といった点で、選択は異なってきますからね。ですので、ぜひともお気 軽にご相談くださいね。

 あなたにとって一番ふさわしい方法で、教員免許や保育士資格の取得がお手伝いできればと思っています。また、資格はともかく、教育学を学びたい、という方も、もちろん大歓迎です。「教職学院」では、卒論や修士論文の指導もしておりますので。

 それから、「教職学院」には、併設の小中高校生対象の学習支援教室があります。日常的に子どもたちと触れ合う機会があるというのは、教育学を学ぶ者にとっては、良い環境だと思いますよ。

 本当に、いろいろな子どもたちがいます。一人の子でも、その日によって、気分や状態は大きく変わります。まったく! と本気で怒りたくなるときも あるのですが、こうしてだんだんに関係ができてくると、本当にかわいくって仕方がありません。それに、もともと、気持ちのいい子たちですしね。

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大田堯の『教育研究の課題と方法』と論文のスタイル。

 今日の話題は、大田堯の『教育研究の課題と方法』です。前にご紹介した堀尾輝久の『教育入門』といい、なんか、今的ではない、教育学かもし れません(汗)。でもまあ、こういう世界を全く知らない学生さんには、知らせておくことも必要なんじゃないかなあ、と思いまして。

 大田先生のご著書は、いわゆる学術的な論文のスタイルとは違うものが多いと思います。本当に、一般の人に語りかけている、というか。大田先生の東 大時代の講義を聴かれていたある方は、「漫談」だと言っておられました。ものすごく引き込まれる、と。でもその方は、その後に、ネガティブなニュアンスの ことを付け加えてらっしゃいましたけれど。

 今回扱った『教育研究の課題と方法』も、註記はあるものの、キー概念はこのような定義で用い、論文の課題はこうで、仮説はこうで、こういう実証を行って、こういう結論が出ました、といった、よく学会誌で読むようなパターンの論文ではありません。

 学生さんの中には、理系出身の方がいて、いわゆる仮説実証型の論文に慣れている方で、あまりにもなじみがないスタイルだから、「新鮮」だと言われていました。そうとしかコメントできなかったのかもしれませんね。ごめんなさいね。

 こういう、論文のスタイルの違いについて、内田樹さんが、以下のように書いています。内田さんは、転載をお許しくださっている方なので、以下のそれを貼り付けます。

さらさらと小テストの採点をしていると院生のS田くんが、修論の相談に来る。
学術論文のライティングスタイルとして規範化されている作法がどうも肌に合わないというご相談である。
学術論文のスタイルには「アングロサクソン型」と「大陸型」の二種類がある。
社 会科学系の論文は(理科系の論文に準じて)アングロサクソン型で書かれるのが普通であるが、宗教や哲学や文学などについて論じる場合は、論文を書きつつあ る主体自身の思考や文体そのものの被投性を遡及的に問うという面倒な作業を伴うために「大陸型」(フーコーやデリダやレヴィナスやラカンのような書き方) で書かれるのが普通である、ということをご説明する。
「大陸型」の書き手は「アングロサクソン型」の書き物をすらすら読めるが(だってわかりやすいんだもん)、「アングロサクソン型」の書き手は「大陸型」の書き物を理解しようとする努力を惜しむ傾向にある。
S 田さんは宗教的経験・霊的経験について論述する予定であるようだが、こういう論文では鍵語(「神」とか「霊」とか)を一義的に定義することができない。鍵 語を定義しないままで、「鍵語を定義しえない人間知性の限界性」そのものを問い返す作業をアングロサクソン型の論述で進めるのはかなりむずかしい(できな いことではないが)。
学術性を確保しながら、学術性の基礎づけそのものを問い返すためには、言語的なアクロバシーが要求される。
まず「言葉を操る技術」がなければ、何も始まらない、というようなことをお話しする。
お役に立てたであろうか。

 大田先生が『教育研究の課題と方法』で書かれているものも、このようなスタイルで、思考されたものだと思うのです。

 私自身は、社会科学系の大学院を出ていますから、周りは「アングロサクソン型」の論文を書かれる方ばかり。私自身も、そういうものを書いてきました。

 そのもう一方で、「大陸型」のものも読みつつ。確かに、大陸型のものはなかなか読めないものです。

 けれど、読んで、満足のため息をつきながら本を閉じることができるのは、圧倒的に後者なのです。私の場合は。

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教員免許を取得するには。

 「教職学院」は、教育・教員養成系の「学校」ですから(汗)、今更(?)ですが、教員免許を取得するための方法についてご紹介しておきましょう。

 教員免許を取得する方法はいろいろあります。「教職学院」では、小学校の教員免許の取得をサポートしています。ぜひお気軽にご相談ください。あなたにとって一番よい取得の方法をご提案させていただけると思います。

 では、さて、一般論として、教員免許を取得するための方法についてご紹介しましょう。

 いわゆる一条校(幼稚園、小学校、中学校、中等教育学校、高等学校)の教師になるためには、教員免許の取得が必要です。
 教員免許を取得後、各地域の行う教員採用試験に合格すると、次年度から「先生の候補」になることができます。次年度の4月1日の辞令により、仮採用となり、さらに次の年度で本採用となります。

*教員免許制度について

 詳しくは、文部科学省のサイト(教員免許制度のあらまし)を ご覧いただくことにして、ここでは簡単な説明をしておくことにしましょう。小学校、中学校、高等学校、盲・聾・養護学校、幼稚園の教員及び養護教員になる には、各学校種ごとの教員免許状が必要となります。中学校・ 高等学校の場合には、教科ごとの免許状になります。この免許状は、各都道府県教員委員会から授与されることになります。

*教員免許状の種類

 教員免許状には、以下のようなものがあります。

普通免許状
 :専修、1種、2種に分かれています。基礎資格(大学院卒、大学卒、短大卒、等)と、所定の単位を取得して、各都道府県教育委 員会に申請すると、授与されます。取得要件の違いにより、免許状は、3種に区分されますが、職務上の差異はありません。したがって当然、採用の段階でも差 別されることはありません。
 普通免許状の取得にあたって必要な基礎資格、単位等については、教育職員免許法の別表第1をご参照ください。

特別免許状
 :教員免許状を持っていない人であっても、各分野の優れた知識経験や技能をもっている社会人について、都道府県教育委員会の行う教育職員検定により、特別免許状を授与し教諭に任用することができます。

*教員免許状(普通免許状)の取得方法

 免許状の授与を受けるための教員養成は、短大・大学等で行われており、免許状を取得するもっとも一般的な方法です。具体的には、大学等において学 士の学位等の基礎資格を得るとともに、文部科学大臣が認定した課程において所定の教科及び教職に関する科目の単位を修得することが必要です。
 また、文部省が実施している教員資格認定試験を受験するといった方法もあります。
 それぞれの取得方法について、簡単にまとめてみました。

大学の一般入試
 :高校卒業直後に受験するのならともかく、やっぱり社会人には難関かも。

大学の特別枠入試(社会人枠)
 :入学試験の段階では、社会人経験や特技を活かせるといったメリットがあるが、定員が少ないので、やっぱり社会人には大変。

大学の特別枠入試(編入学)
 :入学試験では、主に、英語と専門試験が課される。短大・大学に1年以上在籍していれば受験できる。専門士もOKのところもある。最短修業年限で免許状を取得することも可能。ただ、入学定員が少ないため、大学によっては、かなり試験は難関。

大学の通信教育課程
 :基本的に書類審査で入学ができる。
  学費が安い(年に10万円程度)。
  年に何回かのスクーリングを除けば通学の義務がないため、社会人の場合、現在の仕事を続けながら入学することができる。
  基本的には「自学自習」であるため、かなりの努力が必要。修了率が低く、大学によっては10%を切るとも言われている。

大学院
 :教員養成は、基本的には学部で行うことになっているため、1種免許状をすでに取得している者が専修免許状を取得できるというのが 一般的であるが、近年、特別に「教員養成プログラム」を置く大学が増えてきており、教員免許状を何も持っていない場合でも、これらのプログラムを履修する ことによって、教員免許状が取得できるようになっている。これらの大学院では、通常2年の修士課程が3年に延期され、学部の教職単位を取得することによ り、修士号と専修免許状の取得が可能である。ただし、現在では、これらのプログラムを設置しているのは、非常に限られた大学院のみである。

教員資格認定試験(文部省)
 :年に1回の試験。難関と言われている。

 このように免許状の取得のためのそれぞれの方法には一長一短があります。それぞれの事情に最も合致した方法を選択する必要があります。

 とまあ、「教職学院」のサイトに、やや、公的なものとして書くとしたら、ここまででしょうかねえ。「それぞれの事情に最も合致した」と。でも、ここはブログですから(汗)。もう少しつっこんだところで、どれがいいか、考えてみましょう。

 まずは高校3年生か卒業したばかりの方。こういう方はやはり、一般入試で大学に入学された方がよいと思います。だって、一般入試だったら、すべて の大学を受験できますから。編入学の試験は、語学と専門だけですし、一般入試のときよりも難関校に合格することは十分可能なのですが、でもやっぱり、選択 肢が少ない。

 例えば、首都圏では国公立大学の小学校教員養成課程では、編入学の試験は実施されていませんし。やっぱり、選択肢が少なすぎると思うのです。

 でも、もし不本意入学であっても、短大、大学、専門学校に既に入学された方は、その学校を「卒業」することを目指された方がいいと思います。今は 在籍1年以上の2年次編入もありますから。若いときの1年は大きいですよ。なので、選択肢は減ってしまいますが、編入学の試験に挑戦するというのも悪くな いと思います。

 次は、社会人の皆さんです。

 やはり、一般入試は難関だと思うんです。しばらくあのような形態の学習から離れた方にとっては。それに、せっかくの社会人経験を活かすこともできませんし。

 それならば、社会人入試、ということになるのでしょうが、こちらは定員が多くないので、やはり大変だと思います。

 教員資格認定試験を受験するという手もあるのですが、こちらもかなり難関だと聞いています。試験科目も多いですしね。年に1回しかチャンスが無いというのも、ちょっと。

 そうなると、社会人の方は、大学の通信教育課程を選択していくのが最も現実的かと思います。通信教育課程と教員資格認定試験の併用、というのももちろん、有りです。

 通信教育課程は、一般入試や社会人入試のような「入学」の段階でのハードルは、それほど高くありません。基本的に書類審査ですから、門戸が開かれています。それに、今の仕事をやめなくてもいい、というのも、かなりのメリットだと思います。

 ただ、通信教育課程は、その修了率の低さが気になります。大学によっては、10%を切るところもあるようです。私の友人でも、何人も、「挫折」しています。

 でも、一般入試や社会人入試、認定試験にかけるのは、ちょっとリスキーです。そうなると、大変でも、通信教育課程でがんばるしかありません!

 では、通信教育課程とは? 関心のある方、お気軽に「教職学院」までお問い合わせください。「教職学院」では、通信制大学のサポート等、教員資格認定試験の対策も含めて、教育系大学全般のサポートを行っております。

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仲本正夫『学力への挑戦』

 今日の話題は、仲本正夫の『学力への挑戦』から。なんでこんな古い実践記録を?? と思われる方もいらっしゃるでしょうが。実は、堀尾輝久の『教育入門』を読んでいる学生さんがいて、なかなか読めない、というので、そのフォローに入ったのでした。

 『教育入門』といえば、私が大学1年生のときの購読のテキストでした。S藤先生、この本1冊で、半期の購読を回したのですから、今思えば、すごい(汗)。私なんて貧乏性なので、どんどん、「過剰」な教材を学生さんに与えてしまいますからねえ。
 それでもって、学部1年のときにこれを読んで、その勢いで、そこに紹介されていた仲本さんの『学力への挑戦』そしてその続編の『自立への挑戦』を一気に読んだことをよく覚えています。
  なんか思うのは、最近の学生さんって、そういう本の読み方が少ないようですね。「何を読んだらいいですか?」とよく聞かれるのです。でも、例えば、テキス トになっている本を1冊読めば、そこで紹介されていて面白いなあと思った本を、言われなくても手に取り、それが面白ければ、その著者のものを全部読みた い! って思うものかなあと思うのですが……。だから、私などは、読みたい本ばかりで、時間が追いつかないのですけれど。そんなもんじゃないのかなあ??
 まあ、それはともかくとして、授業では、仲本さんの実践を紹介しました。
 仲本さんの本は、1979年に出版されています。落ちこぼれが言われ、「ゆとり教育」が叫ばれた頃です。この当時、いわゆる高校の底辺校の3年生の数学で、微分積分を教えた、という実践です。
 底辺校の子どもたちの数学の力は、今風に言えば、「分数ができない高校生」といったところだと思います。では、この子たちに、つまづいているところまで戻って、算数・数学を教えればいいのか? というのが仲本さんの挑戦です。
 基礎学力回復のための「治療的教育」、ドリル重視は、最近も叫ばれています。けれど、高校生に小学生と同じ問題を反復練習させるのって、どうなんでしょう? 高校生のプライドが、それを許さないのではないでしょうかねえ。
  だから仲本さんは、そういう実践はしません。高校生ならば、微分や積分の基本的な概念は、基礎学力に問題があったとしても、つかむことができる、と仲本さ んは言っています。そういう微分や積分の新しい概念の学習を軸にしながら、問題があれば、基礎的な学力への回復へも手をのばしていく、という、高校生にふ さわしい学力、微分や積分の基本の習得と、基礎的な学力の回復の結合した内容が目指されたわけです。
 そして子どもたちは、「根本から」数学を学んだという体験をし、最後には、遠山啓の『数学入門』(岩波新書)が読めるまでになっていくのです。
 この仲本さんの実践って、今、これだけ、基礎学力、ドリル学習の必要性が言われている中で、改めて読み返してみてもいいのではないでしょうかねえ。学ぶということは、抜けているところをそのまま補うような単線的な過程ではないと思うのです。
 皆さんは、どう考えますか?

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小学生の暴力急増。

 突然ですが、小学生の暴力の発生件数について今回は書いてみます。
 よく、「発生件数が急増」といった報道がされるのですが、私自身は、なんか、腑に落ちないので す。というのは、例えば、各都道府県別の暴力件数も発表されているのですが、2005年度、東京は65件、神奈川は501件なんです。児童数で割っ て、発生率を比較したら、神奈川の方が児童数は少ないですからね、東京と比べると、極端に多い発生率になるのではないかと思うんですよね。

 えっ、神奈川の子どもって、東京の子どもよりも、そんなに暴力的なの? それを説明する合理的な理由ってあるのかなあ、と思ってしまうんです。
 神奈川と東京の例だけでなく、全国を見ると、そんな数字ばかり……。だから、調査の仕方に、なんらかの特徴があるのではないかと推測します。
 そうなってくると、この調査の「急増」という「事実」そのものを、括弧にくくって再考したいと思ってしまうわけです。

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「何のために勉強をするの?」

 最近、こんなことをストレートに聞く子どもたちが増えたように思います。「何のために勉強するの?」「勉強をして、何の得になるの?」そんな問いが増えたのではないでしょうか。

 この問いに大人・教師は、「誠実に」応えるべきなのでしょうか? 「勉強すると、こんなにいいことがあるよ」「こんなに得をするよ」「こんなにお金 が儲かるよ」。こんなチープな答えはしない方がいいと思います。でも、子どもの理解できるスキームでは、こんな「わかりやすい」説明しかできません。

 わかりやすい説明はできないにもかかわらず、それでも確信を持って従うべきだと思うことがあります。説明ができないことが、世の中にはあるんです。

 ところで、このような質問は、子どもにかかわらず、よく耳にするようになりました。私の大好きな内田樹さんは、「経済合理性」という言葉でそれを説明しています。経済合理性、等価交換の考え方を徹底すると、勉強をした「見返り」が必ず必要になってくる、というわけです。

 けれど、もちろんこの勉強のことはもちろん、人間にとって大切なことは、合理的に説明ができないものなのです。「なぜ言語を語るのか」「なぜ人を愛するのか」。答えを用意しようとすると、チープなものになってしまいません?

 自分の理解のスキームが及ばないものでも、やる、ということ。そういう等価交換、経済合理性からはずれたことは、どうしたら伝えることができるのでしょうか。とにかく、ねばり強く、子どもたちと関わっていくしかないと思うのです。

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小学校教員免許の取得できる通信制大学。

そういうわけで、小学校教員免許の取得できる通信制大学一覧です!

大学名 学部名 学科名
神戸親和女子大学 児童教育学科
聖徳大学 人文学部 児童学科
創価大学
玉川大学
東京福祉大学 保育児童学科
日本女子大学 児童学科
佛教大学
明星大学 人文学部 心理・教育学科(教育学専修)

 「教職学院」では、通信制大学で小学校教諭の免許状の取得を目指 す皆さんのサポートをしています。小学校の先生になりたいと思われている方、通信制大学で単位を取得するのは困難とあきらめていた方、お気軽にご相談くだ さいね。大学を卒業し、資格を取得し、教員採用試験に合格できるよう、精一杯サポートしていきたいと思っています。

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大学の通信教育課程で教員免許を取得する。

 

教員免許を取得するには様々な方法があります。

 ただ、大学・短大をいったん卒業された方や、社会人の方にとっては、それほど選択肢は多くありません。特別枠は狭き門だし、認定試験も難関なようですし……。

 やはり、確実に免許を取得することを考えていくと、通信教育課程で取得することが、現実的な選択肢ではないかと思います。もちろん、大変なこともたくさんありますが、いわゆるゼロサムゲームではありませんからね、ご自身の努力次第です。

 なので、「現実的な路線」(?)としての、通信制大学(大学の通信教育課程)で教員免許を取得するコースについてのご紹介です。

 通信制大学で教員免許を取得するには、以下のようなコースがあります。

正科生 正科・課程履修生 科目等履修生(聴講生)
大学・短大の卒業資格 取得できる 取得できない 取得できない
教員免許状 取得できる 取得できる 取得できる
取得年数(最短) 短大2年、大学4年 1~2年 1~2年
入学資格 高校・専門学校卒業者、高卒検合格者。*1、2 短大・大学卒業者 短大・大学卒業者

*1 「特修生」制度を設けている大学の場合は、中学卒業者でも正科生になる道が開かれています。
*2 短大・大学の卒業者、大学の2年次修了者が3年次に編入学することも可能です。

 入学目的や既に取得している資格、経験、入学・編入学する学年、単位等によって、取得単位数や取得年数は異なってきます。

 1種免許を取得されたい方で、すでに大学を卒業されている方は、正科・課程履修生か科目等履修生(聴講生)ということになりますね。基礎資格が短大の方、大学を卒業されていない方で1種免許の取得が希望の方は、正科生、ということになります。

 まあ、こんな感じでしょうかねえ。

 「教職学院」では、通信制大学で小学校・幼稚園の教員免許、保育 士資格の取得を目指す皆さんのサポートをしています。小学校・幼稚園の先生や保育士になりたい方、通信制大学で単位を取得するのは困難とあきらめていた 方、お気軽にご相談くださいね。大学を卒業し、資格を取得し、教員採用試験等に合格して就職できるよう、精一杯サポートしていきたいと思っています。

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特修生とは;高校を卒業していなくても、高卒認定試験に合格していなくても、大学に入学できます。

 

大学に入学するための資格は、高校を卒業すること、あるいは高卒認定試験(旧「大検」)に合格すること、が主なものです。

 けれど、様々 な事情で高校に進学しなかった方、高校を中退した方、あるいは、高卒認定試験にまだ合格されていない方にも大学への門戸を開こうと、通信教育課程には「特 修生」(大学によっては「入学資格取得生」といった名称の場合もあります)が設けられている大学もあります。
 大学には行けないとあきらめていた方、チャンスはありますよ。

 特修生には、いくつかの条件があります。
 特修生は、大学毎に募集があるわけですが、特修生として取得した単位などは、特修生として在籍 した大学でのみ有効となります。例えば、A大学の特修生として単位を修得した場合は、A大学にのみ入学できる資格を得るということです。同様に、これ は、通信教育課程にのみ有効ということです。
 ですので、特修生で得られた大学の入学資格は、一般の大学入学資格とは異なります。
 けれど、途中で大学を変えたりしなければ、それほど大きなマイナスにはならないと思います。それよりも、こうやって大学の門戸が開かれることに意味があるのではないでしょうか。

 「教職学院」は、教育系の「学校」ですので、教育系の通信制大学で、特修生制度のある大学をご紹介しておきましょう。

大学名 取得単位数等
大阪芸術大学
近畿大学豊岡短期大学 総合科目7科目の内、6単位以上を修得する。
聖徳大学短期大学 特修生として入学して、所定の単位を修得した後、聖徳大学で実施される「大学入学資格認定試験」を受験し合格することが必要。
東京福祉大学 原則として半年以内に総合教育科目4科目16単位以上を修得する。
佛教大学 「科目等履修生」の中の「本科入学資格コース」として在籍。5科目18単位を履修する。
明星大学 明星大学入学資格認定試験合格後、正科生に移ることが可能。

 特修生制度は、大学によって様々です。上記の表にあるように、取得科目・単位数も異なりますし、在籍期間も、半年~3年程度と様々です。
 詳しくは、「教職学院」までお問い合わせください。高校を卒業していな方、高卒認定試験は難しいという方、あきらめないで! チャンスはあります。
 只、確かに通信制大学で学習をしていくことも、大変なことではあります。
 ですので、「教職学院」では、通信制大学の特修生のサポートをしています。こちらもお気軽にお問い合わせください。大学を卒業したいという夢が叶えられるよう、精一杯サポートしていきたいと考えています。

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