教師の仕事

Yさんの「教育実習日記」

 地方の教員養成系大学に編入学した教え子からメールが届きました。彼女は、障害児教育を専攻しています。大学の付属の学校で教育実習をしているようです。

 読んでいて、教室の子どもたちのこと、そして、初めて「先生」と呼ばれる中で、精一杯彼女ががんばっていること、子どもとの関係をつくっていることが伝わってきていいなあと思いましたので、転載します。

  今、ちょうど教育実習1週目が終わったところです。
  「先生」と呼ばれること歯がゆさを感じています。
   
  附属の特殊学級の子達は、比較的障害が軽いと思っていました。
  確かに重度はいません。
  言語的に困る子はほとんどいません。
  それでも、書くことが出来ない、場の空気が読めない、柔軟性がない…
  一人ひとり状態が異なっています。
  個人のなかでも、日や時間によって状態が違うことも知りました。
  言語的コミュニケーションに問題がないため、
  ふとしたところで難しさを突きつけられます。
  とても奥が深いです。
   
  最近驚いたことは、私が自分のことを「私」と呼んだところ、
  児童に「次、私の番!」と言われました。
  自分のことを「私」と呼ぶ概念がないのだと…
  (名前を覚えられていないってことにもなりますが)
   
  自閉症の男の子には、最初は適度な距離感をもたれていました。
  日がたつにつれて、側にいてくれる時間が長くなったり、指示が通るようになりました。
  着替えのとき「1番上のボタン、パッチンして」と言われたのには本当に嬉しかったです。
  (自分で出来るので、してあげませんでしたが、本音はしてあげたかったです!笑)
   
  その子がとてもニコニコしている日がありました。
  学校外の日だったので、私は単純に楽しいのかなと思いました。
  しかし、実際は違った環境に落ちつかなかったようです。
  必ずしも、ニコニコ=楽しいというわけではありませんでした。
   
  卓上では全く感じられないことを書ききれないくらい感じる毎日です。
  明後日からは授業をします。
  自分の発想力・思考力のなさに悩まされますが、なんとか頑張りたいと思います。
   

 去年の今頃、彼女と、大学の編入学の試験で格闘したことを思い出しました。あの子が、教育実習をしているなんてねえ。本当に早いものです。なんて言うと、私がやたら年を取っているようですね。ははは。

 最終的に進路を決めるのに、ものすごく悩んだ学生さんでした。

 彼女に言ったか、覚えていないのですが、そのときの選択が正しかったかどうかは、その後の人生が決めることだと思うのです。こうして今、子どもたちに精一杯向かっている彼女の姿を見ると、きっと、あのときの選択は正しかったのだと思いますよ。

 がんばってほしいと思います。応援していますよ。

 教師というのは、自分の存在を消すために仕事をしているのだと思います。だって、いつまでも「先生!」と子どもや学生さんが頼ってくるようだった ら、教師の仕事は失敗ですよね。自分がいなくても生きていけるように、その子が自分で立って歩んでいけるようにサポートするのが教師の仕事だと思っていま す。

 そういう意味では、教師の仕事は、切ないものです。

 あんなに頼ってきていて、こちらも精一杯応えていたのに、ぷつんと途絶えていきますから。

 そんな切ない仕事ですが、こうして時々、私に依存するためではなく、友人として、自分の語りたいことを語る相手として選んでもらえるということは、うれしいことです。

 教師は子どもに選んでもらうのだと思うのです。

 そういう意味で、彼女のメールで私は、しばらくまた、がんばれると思うのです。

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先生という仕事

 教職学院では、先生になりたい方々のサポートをしています。

 誰でも、学校に行き、先生に教わってきたわけですから、先生の仕事に対して、何らかのイメージを持たれていることと思います。私のような仕事をしていると、「先生ってさ~」というような話を聞くことが多いのですが、先生のイメージは、非常に様々です。両極端と言ってもいいような話も少なくありません。

 先生という仕事は、「三日やったらやめられない」と揶揄する言葉もあるように、いくらでも手を抜いて、「ラク」にすることができる仕事です。相手は子どもだし、それに、公務員だし!

 その一方で、非常にきつくて、体力的にも精神的にもまいってしまうことがあるような仕事でもあります。

 先生の仕事には、終わりというものがありません。子どものことを考えたら、また、自らの実践力量を上げようと思ったら、いくらでも仕事は生まれてしまう、そんな仕事です。仕事はここまで、というはっきりとした確定がないのです。

 また、自らの仕事の成果・評価は、非常に長いスパンで考えなければいけない仕事でもあります。担任の一年間が終わるまで……いや、そんな短い時間ではありません。では、その子が学校を卒業するまで? 社会に出るまで? これでもまだ短いです。

 私は、大学を卒業してから、もう何年も立っています。自分の学校体験をふりかえると、その時の評価は、その後の自分の人生で、何度も変わっています。

 在学中にはなんとも思っていなかったことが、卒業して、大人になって、先生の言いたかったことがわかったことがあります。このような学校体験を持つことができたことを、本当に幸せに思っています。

 卒業して、何年も経ってから、その子の人生に意味を持たせることがあります。

 それが、教育という仕事の本質なのです。

 だから、教育という仕事の最終的な評価は、自分の教え子が死んだときにわかるものなのです。

 こんなにも息の長い仕事です。にもかかわらず、結果を重視する現代社会において、教育も短期的なスパンで考えることが多くなっているのではないでしょうか。

 教育の仕事に、「時間」という軸を入れて。ゆっくりと子どもを育てるような教師がたくさんいたら。

 教職学院でも同じように、「時間」という軸を入れて、ゆっくりと先生の卵の学生さんたちを育てたいと思っています。そして、私たちの仕事の評価も、教え子の学生たちが先生になって、どんな仕事をするのか、退職の日を迎えるまで、わからないのです。

 ですから、彼(女)らが退職の日を迎えるまで、長く、関わって、サポートを続けたいと思うのです。

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